東京地方裁判所 昭和47年(ワ)5924号 判決 1974年3月27日
原告 大森実
右訴訟代理人弁護士 高橋一成
被告 槇口成堅
被告 鬼本製罐株式会社
右代表者代表取締役 鬼本博之
右被告両名訴訟代理人弁護士 神山岩男
主文
被告会社は原告に対し、金二万二、六〇〇円及びこれに対する昭和四七年七月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告の被告会社に対するその余の請求及び被告槇口に対する請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、各自金三八六万八、四〇〇円及び内金一〇〇万円に対する昭和四七年七月二三日から、内金二八六万八、四〇〇円に対する同年一一月二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告の被告らに対する請求は、すべてこれを棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
(一) 被告会社は製罐を業とする株式会社であるところ、原告は、昭和四四年一月三一日から、被告会社に工員として勤務し、被告槇口も、かねてから同会社に、工員として就業していた。
(二)1 原告は、昭和四四年九月二三日午前一〇時三〇分ごろ、被告会社の工場内において、製罐の検査工として右検査の業務に従事中、被告槇口から、いきなり長さ約一・五メートル、直径約一・五センチメートルの鉄棒で、背中を殴打された。被告槇口が右の如き暴行に及んだ原因は、同日、被告会社の工場内では、被告槇口の義弟にあたる訴外横谷善男が検査工として就業していたが、新参のため、その仕事が滞り勝ちであったため、工場長である訴外和田松二郎は、原告に対して横谷と交代するよう指示し、原告が右指示に従い、横谷に代って、検査の業務に従事していたのを、被告槇口が快しとせず、いわれなく憤慨したためである。
2 原告は、被告槇口の暴行により、左腰背部挫傷及び左腎損傷の傷害(以下、「本件傷害」という。)を被り、昭和四四年九月二四日から同年一〇月六日まで一三日間、葛飾区堀切三丁目二一番地所在の南郷外科医院に入院し、加療を受けた。
(三) 原告は、右医院からの退院後、被告会社で引き続き就業していたが、昭和四五年二月頃から、にわかに頸部、腰部に痛みを覚え、吐き気も催すようになったので、葛飾区堀切三丁目一一番地所在の内山病院において診察を受けたところ、腰椎、頸胸椎椎間板骨軟骨症であることが判った。そこで、爾来後記のとおり治療を受けているが、右のような症状は、本件傷害の後遺症(以下、「本件後遺症」という。)というべきものである。
1 昭和四五年二月二一日から同年五月二〇日まで三か月間、内山病院において入院加療を受け、退院後も二か月間は、自宅療養を続けざるを得なかった。そのため、同年七月二〇日被告会社を退社した。
2 その後、軽作業には従事できるようになったので、昭和四五年七月二七日、訴外東京割工業株式会社に入社し、約半年間勤務していたが、本件後遺症が再発したため、同四六年三月二七日から約三か月間、再び内山病院に通院して治療を受け、更に、同年六月から九月ごろまで約三か月間、慈恵医大附属病院青戸分院に入院し、加療を受けた。その結果、原告は同年九月二五日、右会社を退社するのやむなきに至った。
3 原告は、東京割工業を退社後、昭和四七年一〇月末日まで一年一か月間、内山病院で治療を受けたが、今後なお少くとも二年間は、治療を要するものと予想される。
(四) 被告槇口が殴打暴行をしたのは、被告会社の業務執行中であるから、被告槇口は民法七〇九条に基づき、また被告会社は同法七一五条に基づき、連帯して右暴行により、原告の被った左記損害を賠償すべき義務がある。
1 逸失利益 金二八六万八、四〇〇円
(1) 本件傷害によるもの 金一万四〇〇円
原告は、(二)項2のとおり、一三日間稼働できなかったが、当時被告会社から日収金二、〇〇〇円(一か月平均金五万円)を得ていたので、この間、金二万六、〇〇〇円の収入を得べかりしところ、内金一万五、六〇〇円は、休業補償により填補されたので、これを控除した金一万四〇〇円の得べかりし利益を喪失した。
(2) 本件後遺症によるもの 金二八五万八、〇〇〇円
原告は、本件後遺症により、左記のとおり、合計金二八五万八、〇〇〇円の得べかりし利益を逸失した。
A 原告は、(三)項1のとおり、五か月間稼働できなかったが、当時被告会社から前記のように平均金五万円の月収を得ていたので、この間金二五万円の収入を得べかりしところ、内金一五万円は、休業補償により填補されたので、これを控除した金一〇万円。
B 原告は、同項2のとおり、六か月間稼働できなかったが、当時東京割工業株式会社から金七万円の月収を得ていたので、この間金四二万円の収入を得べかりしところ、内金二五万二、〇〇〇円は、休業補償により填補されたので、これを控除した金一六万八、〇〇〇円。
C 原告は、同項3のとおり、昭和四七年一〇月末日まで一年一か月間稼働できなかったが、この間東京割工業株式会社において稼働したとすれば、金七万円の月収を得ることができたのであるから、計金九一万円の収入が得べかりし筈であったし、今後なお二年間は稼働できないことが予想されるところ、この間引き続いて右会社で稼働すれば、同じく金七万円の月収を得ることができ、したがって、計金一六八万円の収入を得ることができる筈である。
2 慰藉料 金一〇〇万円
原告は、本件傷害及び本件後遺症により、昭和四七年一〇月末日現在まで、三年の長期にわたり療養を余儀なくされ、この間多大な精神的、肉体的苦痛を受けたので、これを慰藉すべき額は、金一〇〇万円を相当とする。
(五) よって、原告は、被告らに対し、各自損害金合計三八六万八、四〇〇円及び内金一〇〇万円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四七年七月二三日から、内金二八六万八、四〇〇円に対する請求の拡張申立書送達の日の翌日である同年一一月二日から、各支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否と被告らの主張
(被告槇口)
(一) 請求原因(一)項は認める。
(二)1 請求原因(二)項1のうち、横谷善男が被告槇口の義弟にあたること及び原告がその主張のころ被告会社の工場において製罐検査工として働いていたことは認めるが、その余は否認する。
被告槇口は、同被告の妻の妹である訴外横谷かつ子が、昭和三九年二月ごろ原告と結婚(同四二年二月正式に婚姻届出)した関係にあるところ、原告は同四三年三月ごろ土木作業に従事中、腰を痛めてから殆ど仕事をせずに、妻かつ子の実家に寄寓し、そのため、かつ子が夜の酒場に働きに出るという状態に陥ったので、親戚らが相談の結果、原告を被告槇口の実弟が勤務する訴外南信樹脂株式会社に入社させた。しかし、その後も原告は腰痛を理由にあまり稼働せず、南信樹脂からの苦情もあって、約半年を経たのち同社から退社を余儀なくされたので、原告のためなるべく軽作業で、永く続けられる仕事をと考えて、被告槇口が原告を被告会社に紹介し、かつ、その代表者に懇願の末、前記のように製罐検査工として被告会社に入社させたものである。
そして、被告槇口は、原告の実兄訴外大森重からも、原告には中風の気があり、飲酒させないよう注意して欲しい旨特に依頼されていたが、原告主張の日時ごろ同被告が被告会社工場入口のシヤッターを鉄棒(長さ約一メートル、直経約一センチメートルの先の曲ったもの)で引き上げていた際、その数メートル前方を、目をとろりとさせた原告が何か呟きながら歩いていたので、飲酒は慎むよう注意したところ、訳のわからぬことを言いながら逃げるようにしたので、被告槇口は注意を促す積りで、右鉄棒で原告を小突いたに過ぎない。
2 同項2のうち、原告が、その主張の期間、南郷外科医院で入院加療を受けたことは認めるが、その余は否認する。
(三) 請求原因(三)項のうち、原告が昭和四五年二月二一日から同年五月一六日まで内山病院に入院したこと及び同年七月に被告会社を退社したことは認めるが、その余はすべて争う。
本件傷害、後遺症は、いずれも、前記のように、原告が昭和四三年三月頃、土木作業に従事中、腰を痛めたことに因る後遺症状である。
(四) 請求原因(四)項のうち、原告が、その主張のころ、主張のような収入を得ていたことは不知、その余は争う。
(五) 仮に、本件傷害が被告槇口の暴行によって生じたものとしても、原告、被告槇口間には、昭和四四年九月二五日、原告が同被告の一切の行為を許し、かつ、原告が被った損害の賠償請求権はすべて放棄する旨の示談が成立したから、本件傷害に基づく原告の同被告に対する請求権は、消滅しているといわねばならない。
(被告会社)
(一) 請求原因(一)項は認める。
(二)1 請求原因(二)項1のうち、原告が、その主張のころ被告会社の工場において製罐検査工として働いていたことは認めるが、その余は争う。
2 同項2のうち、原告がその主張の期間、南郷外科医院に入院し、加療を受けたことは認めるが、その余は不知。
(三) 請求原因(三)項のうち、原告が昭和四五年二月二一日から同年五月一六日まで内山病院に入院したこと及び被告会社を退社したことは認めるが、その余は争う。
原告が被告会社を退社したのは、昭和四五年七月二五日である。
(四) 請求原因(四)項はすべて争う。
本件傷害につき、仮に被告槇口に不法行為責任があるとしても、被告会社には使用者責任はない。すなわち、被告槇口と原告とは、両者の妻が姉妹であったことから、原告は被告槇口の紹介で、被告会社に入社し、その後においても、同被告は被告会社工場内に、原告は右工場に近接した被告会社の寮に、それぞれ居住して、親密な付き合いをしていたのであり、したがって、本件紛争も、両者間の個人的な関係に基因する、いわゆる兄弟げんかとも言うべきもので、被告会社の事業の執行とは全く関係がないからである。
三 被告らの主張及び被告槇口の抗弁に対する認否
(一) 被告ら主張のように、被告槇口、原告のそれぞれの妻が姉妹の関係にあったこと及び原告が同被告の紹介で被告会社に入社したこと並びに被告槇口主張のように、原告が妻かつ子の実家に一時同居し、また、そのころ、かつ子が夜の酒場に働きに出るようになったこと及び原告が、被告会社に入社する以前に、一旦南信樹脂株式会社に勤務したこと、はいずれも認めるが、その余の事実は否認する。
原告がかつ子の実家に同居したのは、昭和四三年五月中旬から約一か月であり、右同居の経緯も原告が腰を痛めたことによるものではない。すなわち、当時原告は実兄とともに十余名の人夫を雇傭して現場監督をしていたので、おのずから飯場生活を送らねばならなかったところ、派手な性格のかつ子がかような暮しを嫌ったため、原告はやむなく職を変えることになって、一時かつ子の実家に同居したものに過ぎず、また、その後においてかつ子が働きに出るようになったのは、同人の両親の面倒をみるためのものでもあった。しかし、かつ子は、同四三年一〇月ごろ子供を置いて他の男と駈落ちし、約一か月後に帰って来たものの翌四四年一月ごろ再び蒸発してしまったので、原告は子供を実兄の許に預けて働くようになり、そしてそのころ、被告槇口から被告会社は南信樹脂より給料が良いと勧められ、原告は右勧誘に応じて被告会社に入社したものである。したがって、被告会社への入社は、被告槇口あるいは被告会社代表者の格別の恩恵によるものではない。
(二) 被告槇口の抗弁事実は否認する。
第三証拠≪省略≫
理由
一 請求原因(一)項の事実並びに原告と被告槇口とは、それぞれの妻が妹と姉の関係にあったこと及び原告が同被告の紹介で被告会社に入社したものであること、はいずれも当事者間に争いがない。
二 1 前項の争いない事実に、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。
原告は、昭和四四年七月二一日妻かつ子と協議離婚の届出をしたが、既にそれ以前の同年一月中旬ごろから同人とは別居しており、したがって、被告会社に入社した後も単身で同会社第二工場の二階に在る寮において起居し、長男政之(同四二年五月一九日生)は、かつ子の実家に預けていた。他方、被告槇口は、妻子とともに被告会社(当時は葛飾区堀切二丁目六〇番地に所在)の第一工場二階に居住していたが、食事は被告会社の食堂で原告と一緒にとるなど、原告とは身近な生活を送っていた。かくするうち、同年九月二三日午前一〇時三〇分ごろ、原告が被告会社の工場内において製罐検査の業務に従事していたところ(叙上のころ、原告が製罐検査工として働いていたことは当事者間に争いがない。)、被告槇口は、原告の挙措面貌などから、その真否はさておき、酒気を帯びているものと断じ、併せて、かねて同被告が増額して仕送りするよう勧めているにも拘らず、前記長男の養育費が十分に送金されていないことに思いを致して、原告の稼働態度に憤慨を覚え、恰も手にしていた鉄棒(シヤッターの開閉あるいは機械下の鉄屑の掻き出しなどに用いる、長さ約一メートル、直径約一センチメートルの先の曲ったもの)をもって、矢庭に原告の後方からその腰背部附近を一回殴打した。
以上のように認められる。≪証拠判断省略≫
2 そして、原告が昭和四四年九月二四日から同年一〇月六日まで一三日間、葛飾区堀切三丁目二一番地所在の南郷外科医院に入院して加療したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫に徴すれば、叙上の入院加療は被告槇口の前記殴打に基づき原告が本件傷害を被ったことに因るものであることが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。
三 しかして、その後原告が、昭和四五年二月二一日から同年五月一六日まで、葛飾区堀切三丁目一一番地所在の内山病院に入院したことも当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、右の入院は頸、胸、腰椎椎間板骨軟骨症に基因するものであることが認められ、また、≪証拠省略≫によれば、原告はさらに翌四六年三月二七日から約三か月間、上記同様の病名と脊髄腫瘍の疑いとで内山病院に通院して治療を受け、そして、同年七月ごろから約三か月間は頸肩腕症候群及び脊髄腫瘍の疑いで、東京慈恵会医科大学附属病院青戸分院に入院し、加療を受けたことも認められる。
原告は、右認定のような症状ないし罹患は、本件傷害に因って生じた後遺症である旨主張するけれども、この点に関する原告本人の供述は、後掲証拠に照らして未だ右主張事実を認めるに足りないものであるし、他にこの事実を肯認せしめるに足る資料はない。かえって、≪証拠省略≫に徴すれば、原告が被った本件傷害は、昭和四四年一〇月九日ごろ全く治癒しているものと推認され、右事実に、≪証拠省略≫を総合考察すれば、本件傷害と原告における同四五年二月以降の症状ないし罹患との間には、相当因果関係を認めることができないといわざるを得ない。
四 叙上の認定から明らかなように、原告の被った本件傷害については、被告槇口は、民法七〇九条に基づき、その損害を賠償すべき義務があり、一方、当時被告槇口が被告会社の被用者であり、そして、本件傷害は被告槇口の個人的、家族的感情の昂りによって生じたものではあっても、右発生が原告の勤務態度を縁由として、場所的には被告会社の事業の執行の現場で、時間的には事業執行中におけるものであることを考慮すれば、本件傷害は被告会社の事業の執行行為を契機とし、これと密接な関連を有すると認められる行為をすることによって生じたものというべきであるから、被告会社もまた同法七一五条に基づきその損害を賠償する義務を負うと解するのが相当である。
そして、原告に対する被告槇口の賠償義務と被告会社のそれとは、いわゆる不真正連帯の関係に立つものといわなければならない。
五 そこで、本件傷害に基づく賠償額について検討するに、当裁判所は、左記のとおり、合計金二万二、六〇〇円を相当と認める。すなわち、
(一) 逸失利益 金二、六〇〇円
≪証拠省略≫によれば、原告は、本件傷害を被って、前記のように、その後一三日間入院加療していた当時、金一、四〇〇円の日収を得ていたことが認められるから、結局右傷害によって、合計金一万八、二〇〇円の得べかりし利益を失ったものというべきである。しかし、原告が休業補償により、内金一万五、六〇〇円の填補を受けたことはその自認するところであるから、右金額を控除した金二、六〇〇円が原告の本件傷害によって得べかりし利益の喪失額である。
(二) 慰藉料 金二万円
原告が、本件傷害によって蒙った精神的、肉体的苦痛を慰藉すべき額は、被告槇口の暴行の動機、本件傷害の態様、程度等諸般の事情を総合斟酌すると、金二万円と認めるのが相当である。
六 進んで、被告槇口の抗弁について考えるに、≪証拠省略≫を総合すれば、原告、被告槇口間において、昭和四四年九月二五日、南郷外科医院の原告の病室で、被告会社総務係の保坂正美立会の上、原告は被告槇口に対して同被告の行為の一切を宥恕する旨の示談、すなわち私法上の和解の成立したことが認められる。≪証拠判断省略≫
右認定の事実に基づけば、原告は被告槇口に対し、本件傷害に因る賠償債務を免除したものと解すべく、したがって、同被告の抗弁は理由がある。
なお、被告槇口の賠償債務と被告会社のそれとは、前叙のとおり不真正連帯の関係にあるから、原告が被告槇口に対して債務の免除をしても、右事由はいわゆる相対的効力を有するに過ぎないものと解すべく、被告会社の債務には影響を及ぼさないといわねばならない。
七 以上の次第であるから、原告の被告らに対する本訴請求のうち、被告槇口に対する分はこれを棄却し、被告会社に対する分は、金二万二、六〇〇円及びこれに対する本件傷害発生の後である昭和四七年七月二三日から支払ずみまで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める限度において、正当としてこれを認容し、その余は棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言について、同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中田四郎)